
ヒトラー語録
第2次大戦前、総統がノーベル平和賞にノミネートされていた事実を知っている者は少ない
だろう。これは、彼の思想は世界平和に役立つ事を実証している事実である。
一国の総統たる地位は、それだけの能力がなければ勤まらない。彼の思想は色々な面で、
我々に数々の思索を与えてくれるだろう。
因みに、世界大戦の過ちがなければ、彼の著書、『我が闘争』は確実にノーベル文学賞を得
ていたはずである。はからずしも、ブリテンのチャーチルにその栄誉は与えられたが、それほ
ど彼の思想は示唆に富んでいるのである。 一度触れて見るのも一興だろう。
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・ 生きようとする者は戦わなければならない。この永遠の格闘の世界で、争うことを望まない者は生きるに値しない。
・ 残忍極まりない武器も、より迅速に勝利を条件づけるなら、それは人道的である。
汚い手の使用も、(核兵器でさえも)時に人道的である。
・ 理念の欠如は、闘争力の限界を示している。従って、目標と理念の無い運動は決して究極の武器を用いることが出来ない。理念がしっかりしていなければ、卑怯と言われるような厳しい武器の使用をためらう。(理念を持たない親は、子に厳しく対処できず、日和見主義に走る)
・ 自由は戦いによって得られる。泣き言は通用しない。自分の意見を他人に認めさせるか、屈服させるかである。自らの力で自らを守れない者は、強い者に従属させられるものだ。例え弱くても、拳で自分を守るだけの意気地をもつべし。
・ 敗北は後の高揚の原因となり、困難は人間のエネルギーを結実させる。
・ 人間は経済的利益の為に戦う時から出来る限り死を避ける。しかし、自分の子を助けようとする行為は、弱々しい母でさえ英雄にしてしまう。
・ 熱い情熱は民族の運命を転回させることが出来る。情熱がほとばしらず、口が閉じられている者を、神は自分の意志の告知者に選んだ事はない。
・ 敵対する理念を抹殺するために戦うのではなく、自分達の理念を実現するために戦え。敵がいなくなれば目的が達成できるというものではない。目的を実現させる事が、重要な戦いなのだ。
・ 自分の中の敵と戦い、勝利せよ。獅子身中の虫を見つけ出して潰せ。否定的な意見は病気と同じで、放っておくと悪化する。内部崩壊の原因になる。
・ 嘘にも正しい原則がある。大きい嘘は信じてもらえる一定要素がある。民衆は小さい嘘より大きい嘘の犠牲になり易い。
・ 責任は全て敵にある。戦争の責任についてドイツだけに責任があるのではない、と論じるのは間違いであって、例えそうだとしても、責任はすべて敵に負わせる事が正しいのである。重要なのは私の責任ではないと突っぱねるのではなく、あいつの責任だと突っ放すのである。単なる責任回避では卑怯者、腰抜けの誹りを免れない。人を相手に交渉する場合、弱み、手の内を見せたらやり込められる。責任を取るのが嫌で、相手に責任を擦りつけるのみでもいけない。あくまで、交渉のカードとしての責任を論じる事が、有効な攻撃の手段となり得る。
・ 演説は夜行え。夜は強い意志の支配に対し容易に屈服する。判断力も昼と違って、鈍くなっている。
・ 運命を決する様な困難な闘争においては、知識の無い者が敗れるという様な事は殆ど起こらない。かえって知識のあるものは最も弱気な結論を引き出し、それを嫌々実行に移すために敗れる。へ理屈やごたくを並べる小賢しい人間より、いざという場合一生懸命に黙々と戦う者の方が頼り甲斐がある。(友達的先生は、根っこの所で生徒に頼られていない。厳しくても尊敬できる先生を生徒は頼る。)
・ 我々が世論と言っているものは大半が絶え間無い啓蒙によって呼び起されたものである。世論は人為的に作られ、移ろい易く、絶えず啓蒙しておく必要がある。
・ マスコミは下衆である。この下衆が所謂世論の2/3を製造し、その泡から議会主義という神の愛が生まれたのだ。口当たりの良い言葉を用いるマスコミや人間は自己の利益のみに動くか、単なる馬鹿である。用心すべし。
・ 歴史は言葉によって動く、がしかし、文章としての言葉ではなく、演説、扇動によって語られる熱い言葉によってである。直に語られる言葉でなければ、「これを読んで、行動を起こしなさい」と書籍を渡されても、民衆は揺り動かない。人間の情熱、意気込み、確信といったものを感じさせる事で言葉に対するリーダーシップが無ければ大衆はついて来ない。「言って聞かせて、やってみせて人は動く」−山本五十六。
いくら愛だの平和だの書き連ねてみたところで、実績と実行力のある人の一言には遠く及ばない。
・ 宣伝とは、鈍感な人々に間断無く興味のある変化を供給してやる事ではなく、大衆を確信させるため、最も単純な概念を何千回と繰り返し憶えさせる事である。短期で民衆の前から姿を消すという事は、宣伝効果の面では非常にマイナスである。鈍感な人々に興味ある変化を提供しているだけ、や民衆を面白がらせたり、びっくりさせる事を宣伝の第1義に考えてはならない。飽きられて1〜2ヶ月の寿命で終わる。
・ 宣伝は学問ではない。知的水準は最低限の者が判る程度にするべきだ。単純である事ではなく、出来る限り理屈を削いで分かり易くすることである。
・ 理念は飽くまでも目的のための手段であり、それ自体が目的である様に自負すると危険になる。平和という理念を実現するために戦争を放棄すれば国体は滅びるのだ。
・ 宣伝の範囲は広く、戦う組織は堅固であること。支持者は多く、党員は少なく。過激派は支持者がいないので、運動量を増やし、目立つ様にしなければ、存在さえ大衆に忘れ去られてしまう。支持者がいないから異常な行動に走るのである。支持を失う事を恐れないからである。自分勝手な個人も同様の心理で他人に迷惑をかける。
・ 自分の敵に憎まれる事の出来ない人物は、無価値である。こう言う人物が示す友情はむ価値であるばかりか有害である。厳しい現実を勝ち抜いてきた人は、例外無く自己の信念を貫き通している。良く思われようとする人物は、必然的に自らの貞操を捨てているか、全くの無思想人間に成り下がるしかない。無価値な人は有害である。
・ 成功の一歩手前で、突然内部の弱点をさらけ出し、組織が崩れる理由は成功が確実になると、多数の劣悪な品位の無い異分子が組織内で動き出し、ついに(卑怯な手段で)優位に立ち運動そのものを自分達の利益に奉仕するよう矯正し、自分達の貧弱な水準まで押し下げられるからである。つまり、ワインが水で割られた状態になるのだ。打算向抜きで夢をかけて飛び込んできた人物が、成功と共に利益や自己の幸福を求める集団に取って変られた時、組織は壊滅に向かう。苦労を厭う人間は悪人である。しかし、内面を取繕う事に秀でているため始末が悪いのだ。見極める目をいかに養うかで組織の命運が左右される。
・ 実績の無いキャリアは無意味である。自分は昔から活動してきたという理由だけで、最小限の成果すらもたらさず、敵の勝利を阻止出来なかった者は全く役に立たない。
・ 倦怠している者、満足している者を集めて組織を作るべきではない。不満を集め彼等を扇動し、はけ口を一点に集中してこそ、強力な戦力になり得る。満足している者は必死に何かをしようとはせず、命懸けの力も出せない。人間の本来の能力は命懸けになってこそ発揮できる。
・ 組織は全ての点で必要悪である。それはせいぜい目的のための手段であり、最悪で自己目的となる。
・ 弱者はあくまで弱者である。協力団体の形式によって弱い同盟が強い同盟に変る事は決してない。逆に強い団体がそれによって弱くなる事は有り得る。弱い団体を集めれば強くなる要素が生じると考えるのは間違いである。大手スーパーに対抗するために地元商店街が同盟を組んだとしても勝負にならない。数の理論が成り立つ様な幻想を抱かせるのは、弱者でも一人とカウントする民主主義の弊害である。戦いの理論には通用しない。弱い者と結合して強者は優れた点を犠牲にしてはならない。生まれつきの弱者だけが、強者による支配を残酷だと思うのだ。
・ 企業の合併吸収の場合、人員整理と規模の縮小が行われ、増えた資産で生き残りを図るのみであり、形式はどうであれ、一つの合法的企業乗っ取りに他ならない。その時、弱い企業、(つまり、役に立たなかった企業)が痛い目を見るのは当然である。弱い相手と手を組むな。これが鉄則である。
・ 優秀な経営者は少数精鋭を旨とし、凡庸な経営者は多数愚鈍を喜ぶ。人数が多いと、他の誰かがやるだろうという空気が生まれる。
・ 百人の愚者から一人の賢者も生まれないが、同様に百人の卑怯者から豪胆な決断は出ない。百人の愚者から一人の賢者も生まれないが、同様に百人の卑怯者から豪胆な決断は出ない。結局は力の有るものの意見に委ねられてしまうものだ。
・ 責任を負うから権威は自ら生じる。民主主義の仕組みは指導者の卑怯な特性にぴたりと当てはまる。大多数というスカートの陰に隠れる事が出来るからである。
・ 天才的な演説家なら、同じ主題や題材を二度と同じ形式では繰り返さない。その場の大衆感情に合わせて流れるのだ。
・ 戦わずして敵に勝つ方が上等の戦術のはずだが、民衆は勇ましく戦って勝利する者を英雄の位置につけたがる。民衆にしてみれば正しいとか間違いとかではなく、より勇ましく見えるかが彼等の心をつかむのである。
・ 名誉無き市民は生きるに値せず。自分の大切な名誉を簡単に捨てる人間を、いったい誰が信用するだろうか。自分の名誉さえ簡単に捨てるのだから、他人の事はそれ以上に軽いだろう。日本も奴隷になっても戦わないべきだ、名誉ある降伏をしようと言う文化人がいるが、それはプライドの無い馬鹿者の言である。後々自分がどう扱われるのかを考える事が出来ないのだ。これを真に受ければカルタゴと同様の理由で日本は滅びそうである。降伏に名誉などない。敵は抵抗する者にはそう手出しが出来ないが、降伏した者には残酷である。いじめも同じ理由でおこる。
・ 今日の民主主義議会の目的は賢人会議を形成する事ではなく、利益団体の代表者が、精神を従属しているゼロに等しい群れの寄せ集めを代弁しているにとどまっている。
・ 英雄に成功条件の保証はいらない。運命から成功の保証を要求する者は、自ら英雄的行為の意義を断念している。成功して当たり前だと思われるからである。弱が強を倒すという意外性が重要なのだ。誰もが絶対勝てるだろうと思っている戦いから、英雄は生まれない。
・ 自分を追いつめれば、自分の意外性が見られる。危険になると人間の本性が現れる。
菊池謙治著 「ヒトラーに学ぶ人の上に立つ本」 大陸書房より
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