
恋愛作戦課
孫子の兵法による恋愛の体系的論理的展開
世の中に恋の妙薬など存在しない。人の世に恋の悩みは尽きないものだが、有史以来その
様な問題に対して、人は盲目であったと思う。恋愛を体系化して捉えるには、恋愛の年代は若
すぎたのかも知れない。
私自身、徹底して合理主義に分析している兵法から、この問題を論じてみたいと考える。孫
子の兵法は、組織された人間を家畜とみなして語る。 元来、人という家畜を御する主題から展
開されてゆく論理である。ここでは思いやりとかいたわりとかは別世界の問題であるが、感情
を度外視した方法論で異性を御するといっても、感情を捨てろという意味ではない。
人間の能力差が、個人に対して存在する以上、謎掛けのような心理分析や、神や占いに頼
るなど、論外のことである。
誰にでも実行できなければ良い結果は望むべくもないだろう。心理学、統計学などはそれを
判断するための情報でしかない。生物学的根拠、特にその行動学こそ問われなければならな
いだろう。
しかし、人は、万葉の世から一体なにをやっていたのだろう。
(因みに、この考え方を、面白がって女性に見せたら、白い目で見られてしまった経験がある
ので、注意しましょう。私としては、浜辺で綺麗な貝殻を見つけた様な感覚だったのだけれ
ど。)
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1.作戦計画の作成
どの様な恋愛を行おうと考えていても、まずその設計図を想定することが望ましい。ただ闇雲にぶつかっていくだけでは、時間と労力の無駄である。
・作戦の方向と指針の決定について
客観的な自分の把握から始める。まずは自分の実力を自認する。
自分はもてるのか?ハンサムなのか?金持ちなのか?有能なのか?恋愛に不自由していなければ、これを読んでも意味は無い。自分の方針を持っているのだから。
そうでないなら自分の優れた面を伸ばしつつ、悪い面を修正して勝負しなければならない。
自分の情報の整理である。自己分析をノートし、良い面、悪い面を分かりやすく整理し、その傾向と対策を思いつくだけ考えて、精神を補助する。この対策を立てていないのと立てたのでは、とっさの時に悪い面のフォローに大きな違いが出るし、良い面では更に良く映える様な演出が可能となる。
自分を演出する条件として、悪い面のみに重点を置いて修正を加えても、一般的な人間像になるだけで、無意味であり、良い面にのみ重点を置いても、悪い面を他人に嫌われたのでは元も子もない。但し、どちらによりウェイトを置くべきかと考えるなら、迷わず良い面を伸ばす方向にウェイトを置くべきである。良い面さえ伸ばせば、平凡人と見られることが無いからである。
・目標と目的の決定
好きな人が現れたとして、その人とどのような関係にまでなりたいのか、最終的な目的を決定する。単に付き合いのみの戦術に徹するのか、結婚までを考えた戦略を採るのか。一般方向をこの目的によって決定する。戦争とは、その終結時を考えずに開戦に踏み切ると、ひどい目に遭うものである。最も有利な条件と環境の元に開始しなければならないものである。(戦略は、戦術を準備し、これを収穫する)いつ、どこで、どう戦うかを決め、勝利でも敗北でもこれを取り上げて、目的達成に利用する。
結婚とは、恋愛の収穫である。恋愛を行う時にその基礎を完成させ、統帥と政略との協調により、これを実現する。失敗すれば破局を迎える。
一般方向を誤ることは、戦略上取り返しのつかない結果を生み出しかねないものである。第二次欧州大戦ではアイゼンハワーとスターリンの一般方向の差が、二つのベルリンと言う悲劇を生んでしまった。
例えば、恋人に対するアプローチの一般方向例として、格好で勝負するか、親しみ易さで勝負するか等に分けられる。どちらも有効な戦法であるが、どちらを主としどちらを従とするかで作戦は大幅に違ってくる。
戦史から判断するならば、質より量によって大抵は勝利する。核の様な圧倒的な質の優位を保てる場合は別として、近代戦は物量による消耗戦であり、補給戦の確保が戦況を優位に動かせるのである。(戦闘は破壊ではなく、物量によって決定する)すなわち、物量戦を演じられる状況を作成しつつ、質を高める努力を行うことが効率的に良いと考えられる。私の考える一般方向は、目的となる人物との接触回数を増やしつつ、自分の質の向上をすることで、勝負を挑むべきだと考える。どのような人物でも何かしらの魅力を持てば、好かれることができる。チビやデブやハゲは全てが恋人にあぶれているわけではない。ルックスのみで勝負を挑むのは自己満足のみで空回りする危険が多い、親しみやすさを第一に持ってくるべきだと考える。
ここで注意をすべきことは、接触回数を不自然に増やす事で、相手にストーキングされていると思われないことである。接触回数が2.3回ならまだしも、4.5回になればだれだった不審がるものである。とはいってもできるだけ一日一回は相手に会う努力をしなければならない。相手をいつも安心させることができると感じさせることである。(一回の電話より一回の会見、それよりも一回の食事である。)
・情報、データの収集
敵を知り、己を知らば百戦危うからずの故事の様に、相手のデータ―は最も重要な武器である。それによってその人の適性、嗜好、恋人の有無、などが得られれば、こちらの戦術に大いにプラスとなるからである。
その人のことを良く知りたいと思うなら、観察日誌をつけることである。昆虫やアサガオ同様、何処に出没するか、いつ活動するか、など日誌をつけ、生態を細かく記述し、そこからその一日の行動の合理的推測と洞察から相手の心理状態を割り出し、それを数値化する。自分の行動の採点を行い、今日の相手への対応の点数をつけ、更に高みをシュミレートして、明日の会話などの作戦プランを用意する。まず、情報と作戦を組んでおけば、話題性で困ることはない。
人間の考えることは、人間によって推測可能である。そんなに多く選択肢が存在するわけではない。それが推測できないのは、データ―不足から来る予測エラーにある。不可能である選択肢を消去することで、求められる帰納的推理を実施する訓練をすることである。
人の好みは、その人の化粧やアクセサリー、時計や服装などに個性として現れるものであり、ブランドを求めるか、(ブランドといっても、名前のみに固執して、一般的なものに留まっているか、奥まで突っ込んで高価なものを買いこんでいるかという満足ドの違いもある。)安い消耗品としてそれらを使うか等々、その人の個性や経済レベルを測る情報にもなる。相手の趣味を無視してはならない。自分のシチュエーションの如何によっては、相手の尊敬さえ得られるものでもあるからである。相手は必ず自分と釣り合う人物かどうかを心で測っている。当然、自分より劣っている者に対しては、それなりにあしらわれると思えばまず間違いは無い。それ以上に何かしらの魅力が優れていれば別であるが、ちょっとした変わったしぐさにも何かしら意味は隠されているものである。この時の直感は信じられるものである。
現代は情報無くして完全な成功たり得ない。日曜の相手の行動を知ることでどれだけ自己のアピールを優位に持っていけるだろうか。
・スタッフ(人材)
理論を敬遠して、生来の未熟さに甘んじてはならない。作戦無き戦いに勝利は無い。戦略は道標であり、決断力がその道を歩く。作戦立案で最も要求されるのは優秀なスタッフであるが、この人材の発掘と選択が至難なことである。
まずは自分の身の程から考える。どんなに優れた作戦であっても、実行力が伴わなければ無意味だからだ。自分の体がその計画を遂行可能かどうかを調べることから始めなければならない。腐った社会では、どんなに優れた法を整備しても、それを守ろうとしないので、無意味なのと同じく、腐った人間の精神は、どんな制約を設けようとも実行は困難であり、どこかに甘えが生じ、作戦全体を壊しかねないのである。かといって頭の硬いものにも、作戦の柔軟性が無く、無理が生ずるのだが。
とりあえず、自分が腐っているのかを知るために、毎日何か一つの制約を設けて調べて見れば良い。日記でも、ジョギングでも、禁煙でも、それが1ヶ月も続かないようであれば、その人は確実に腐っている。その様な人間は政治腐敗を批判する立場にない。自分の腐敗を棚に上げる人間ほど、自分を客観的に見る事はかなわない。(できない制約は始めからしなければ良いのだ。)精神から鍛えなおす必要があるし、ろくな人物ではない。自分が今、好きな子に愛されたいなら、甘えを捨て、覚悟を決めよ。
人材の選択は手近なところで、友達、先輩、親、兄弟などであるが、彼らが全て役立つわけではない。身近な者なら身近なものほど、自分の心を悟られないよう用心した方が良いこともある。とかく陰謀は、それを打ち明けた者によって逆に脅迫されると見て良い。なおかつ選んだ人材が恋敵だっなどと言う事もあり得るわけで、その場合協力者と見せかけて、実は裏工作や抜け駆けなどを策動したりするものである。敵は自分の手段を知っているが、こちらは敵の存在を知らないので、絶対にこれに勝てない。自分のいないときに悪口を言っていないとも限らず、「あいつ、ああ言っているが実は・・」などと噂されない保証は何処にもない。同じ目的、若しくは利益の存在しない関係ほど、外部からの圧力には弱いものである。
(軒を貸して母屋を取られる=彼女のケータイを教えて彼女を取られる)
決してすぐに切れる友達関係を当てにしてはならない。彼らは自己の利益のみで動く。(精神的利益を分かち合っている友人関係でも時に友情より恋愛を選ぶ)合コンなどで中途以降裏切り者が出るのはこの理由による。
友達、年配者、兄弟など、自分の生活フィールドを共にする者に対しては、参考として意見を聞くに留めておき、決してスタッフの中に組み入れるべきではない。但し、既婚者だったり、弱みを握っていたり、異性で、協力的関係にあったり、害とならない人物などの例外も存在する。
この限られたなかで人材を選別するのは、難題である。条件をクリアしても、ほとんど使えない人材しか世間にはいないからである。速効性を考えるなら、人選に何かしらのデメリットは甘受しなければならなくなる。無害な人物でも無能では何の役にも立たない。
忠告は無料である。楽天的な説教好き、とっくに恋の問題から退いて平和ボケしている者、他人のやることに批判するだけで、自分の意見を持たぬ者、(大方の者は言い難い事を言ってやるのが親切だと思いこんでいるが、これは人に恥をかかせるだけで、何の役にもたたず、悪口を言っているに等しい。なぜなら、改善策がないからである。あるのに前もって忠告しない者は更に有害である)志の低いもの、この様な人々は人間性にとって最も無知な人々である。=葉隠れより
受験勉強は社会人より学生のほうが、秀でているのと同様に、そんな人間より、プレイボーイにでも意見を聞いたほうが何倍も利得がある。彼にはキャリアとノウハウがある。(敵に回すと勝てないので、自分のフィールドと重複させてはならない)
学校の友人でも会社の仲間でも、自分の生活空間を他に移したとき、(卒業や引越しをしたとして)それっきりの付き合いになる人達とは絶対に謀略を共にしてはならない。した場合裏切りを覚悟せよ。この場合、恨むべきは裏切って横取りした友人ではなく、スタッフの一員として信頼した自分に非があるのだ。
組織とはまず、内部から作り上げ、(職業訓練)同一の利益に向けてこれを動かすものであるから、腐った異分子を組織建設時にできるだけ排除、粛清しなければ作戦半ばで分解しかねない。
人に裏切られる心配をするよりも、裏切れない状況を作っておくことも肝要である。共犯であったり、トカゲの尻尾的な使用法も最終的には使えるよう、謀略を張り巡らせておけばまず裏切られない。(但し切り捨てを行うと、他のスタッフにも疑心が起きる。次に捨てられるのは自分かと考えるからである。)信用を得るなら、切捨ては作戦終了時か、重大な転局にしか行うべきではないだろう。親子の間でも殺人事件が起こることを考えれば、裏切らない人間はいないと考えて差し支えない。(傭兵は、平和な時に、都合の良いことを言って取り入るが、自分の命が危うくなると主人を見捨ててどこえともなく消えていく。決して金の為に命は捨てない。
・作戦計画
実際の戦闘でもそうであるように、戦争の終結を想定せずその一歩を踏み出してはならない。戦略を組むときに必要となるのが、地図とシナリオである。(その見積もりが甘く、時の威力を軽視したために、ナポレオンやヒトラーはロシアで敗退した。)
この2つは作戦の両輪であり、どちらが欠けても支障をきたす。
1.地図の作成(相関図、拠点的人物にはラインが集中する。)
地図とは、対人関係を表す、勢力分布図のような相関図が望ましい。自分と相手、それを取り巻く人間関係を図式化して、線で結ぶものである。組織には必ず派閥、グループが存在し、その集団の位置と自分の置かれた位置、相手に影響を与えられる人物などの拠点をチェックし、自己の置かれた勢力位置を再認識し、整理する。重要拠点である人物を陥すだけでも、相手に対する影響力は大である。将を射るにまず馬を射てみたり、相手の勢力に精神的浸透を図ったりと、やり方はその時の状況によって様々な変化を見せる。マキャベリ的な権謀術が試される。(大抵の人は、侮辱すれば怒るし、強く出れば警戒し、反発する。力で押さえるよりも相手に取り入って、頼みを断れない状況を作り出した方が有効な手段となる。中国共産党の多用する手法である。(侵略者は平和主義者である。なぜなら、戦わずして征服できればそれに越したことはないからえある。マキャベリ)
集会などは、人がグループや友達に分かれて並ぶものである。観察するべし。
2.作戦期間(シナリオ準備)
作戦において、開始のタイミングと作戦終了の引き際は、作戦の成功、不成功に拘わらず、決断しなければならないものである以上、いかに有利な状況のもと、作戦を開始するかで成功条件もおのずと違ってくる。多くの場合失敗した原因を究明した場合、一つの原因に帰結する。
すなわち、遅すぎたことが敗因の大半を占める。
イベントというのは、突発的に起こるものではない。四季によって、あらかじめ用意されているものであり、これを踏まえながらシナリオを作成することが意味をもつ。作戦開始を春とすれば、バレンタインデーには間に合わないし、冬にすれば、クリスマスに相手を誘ってなどと言う仲に発展させるのは容易ではない。月毎に目標を立て、どこまでの仲になるようにとスケジュールを組んで、1週間ごとのシナリオを用意する。
例えば彼女の登下校時間を毎日調べ、1ヶ月をグラフ化してみる。それによって、サイクルパターンを確認し、より出会う確立の高い時間に会わせて、出かけたりし、あたかも偶然であるかのように話したり、自分の存在をか彼女に認識させるだけでもよい。
このように、用意したシナリオをこなすことによって、自分の存在を相手の心に浸蝕させる。無論変なプライドは捨て、演技することがが大事である。(話すチャンスを作ることは、親しい仲になるための基礎である。)
対人関係も受験勉強と同様、いかに多くの時間をコミュニケーションに費やせるかにかかっている。従って、自分の生活様式の変化も必要となり、どれだけ無駄な時間が切り捨てられるかという問題になる。それゆえ、日程表などを作成し、合理的な時間配分を検討する。1方向への集中と、無用な労力、経済力を減ずることで、多くの可能性、バリエーションを生む土台を作成する。
・作戦準備
男性の場合、自分がもし、女性と話す時にあがってしまったり、上司や同僚からも子供扱いされているとするなら、会話のリハビリをしたほうがよい。更には彼女や目当ての人物の注意を引く趣味や経済力を備え、技術力を具体的にアップする。他人は優れた所があれば、(趣味が同じで、彼女の上を行く技術を持てばなおさら)その人に好感を抱きやすい。自分より劣るもの、アクセサリーでもそうだが、価値の低い物は余程気に入られなければ相手にされない。人と同じでは人と同じにしか見られないのだ。(逆にいえば、変わった者はそんなに存在しない。皆、価値は同じようなものである。)
リハビリ法だが、これは苦手とされる相手に言葉を交わすしかない。女性に上がってしまう場合、道行く女性に、「今、何時ですか?」とか「駅へ行く道を教えてください。」とか声をかけたりして、コミュニケーションに慣れる練習をするしかない。間違っても大勢で行うコンパ形式ではリハビリノの効果を期待してはならない。最後には必ず、1対1での会話になるものである以上、その状況に近似した設定で慣れなければ、効果はおぼつかない。なおかつ、友人との合同の場合、フォロー役を相手に期待したり(又は相手が主導権を取って自分が影役に回ったりして)するために、充分な役割の再認識をしたほうがよい。なお、裏切り、、横取りは覚悟することである。
更に、もてない奴は何人集まってもてるための算段をしようとももてない。頭の悪い奴が何人集まって方程式を解こうとしても、無駄なのと同様である。この場合、「三人寄れば文殊の知恵」と言う言葉は当てはまらない。実行した結果のみが、事実であり、失敗の積み重ねは無駄ではない。
自給力の問題も検証する。自分の性格が速攻タイプであるか、じっくりと構えるタイプなのか、(時間的余裕がどのくらいあるかも問題だが)自己の得意とする方向で作戦プランを計画するのが最良である。しかしながら大抵の場合、ライバルなどの障害が存在すると考えると、速攻型のプランを目的としたい。純情というのはそれだけ場数をこなしておらず、どう相手と接して良いのか判らない状態であるにすぎない。この様な精神的レベルでは、不覚を取りかねない。
自分が飽きっぽい人間なのか、性格的な差異は重要な事であるが、この場合、時の威力は最も重要である。遅すぎては何もならない。
告白するタイミングには2種類ある。
まず、お互いの気持ちを確認した後に告白する方法
次に、先に告白した後、気持ちをこちらに引き寄せる方法である。
どちらがより良い方策なのかは一概に決せられず、時間的要素と精神的要素を総合して、決断すべきであるが、前者は自己の実力を確認するための時間的デメリットがあり、後者は相手の気持ちが全く不明であり、データ―を総合した決断ができない。
人を動かすには、ある程度の仕込みが必要であり、自分が動かなければ相手は絶対と言って良い程こちらの都合の良い方向には動かない。
只、相手に恋人がいる場合の方策では、後者の告白しか選択の余地は無いだろう。それによって、相手の心に揺さぶりをかけ、進行を遅滞させるよう持って行くのである。好きと言われて喜ばない人はいないだろう。例えば、そのタイミングをデートの日時、クリスマスや他の記念日などに合わせれば、その時のデートに何かしらのファクターをかけることができるのである。
とりあえず、ここまで。(ここから先は漠然としか考えてないんです。)
なお、参考文献です
・クラウゼウィッツノの兵法 大橋武夫著 マネジメント社
・口説きの赤本 後藤よしのり KKベストセラーズ
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