
偽書収蔵庫
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物語上で語られるホームズの小論文集である。
「救われるものの名簿」以外はその内容に係る記述がないため、どのような論理を展開していたのかは知る由もないが、その機知に富んだ物語から読者はその内容の非凡さを感じる事ができるだろう。
『救われるものの名簿』―緋色の研究より
雑誌に記載されたホームズの観察と分析理論。以下断片。
顔面筋肉のちょっとした動きとか、視線の移動とかいう如き瞬間的表情によって人心の奥底まで見抜き得るものである。また観察と分析に習熟した人である場合には欺瞞と言う事はあり得ない。
ただ一滴の水より論理家は大西洋またはナイアガラ瀑布などの存在の可能なるを、それらを見聞きする事無くして推理し得るであろう。同様に人生は一連の大なる鎖であるから、その本性を知らんと欲せば、一個の環を知りさえすればよいのである。
全て他の学問と同じく、推理分析学もまた長期間刻苦精励して初めて取得し得るものである。これが薀奥を極めるには生涯を研鑚に費やしても、未だ以って充分とは言えない。
初学者はこれら至難の技たる精神的方面の研究に入るに先立って、まず初歩の問題から習熟すべきである。まず他人に会えば一見して経歴職業を判別しうるよう修練を積むのである。
かかる修練は馬鹿馬鹿しく見えるかもしれないが、一面これが観察力を鋭敏にし、またいずこかに目を注ぎ、何物をとり見るべきかを教えるのである。指の爪、服の袖、靴、ズボンの膝頭、食指拇指などのタコ、表情、カフス、これらの物はいずれの一つをとっても其々の人物の職業を明示してくれる。これらの物を全て統合するとこは、必ず何らか啓示されるものである事を筆者は固く信じて疑わない。
ホームズに出会ったばかりのワトソン曰く、推論は緻密で熱があるけれども、出てくる論断にはこじつけと誇張の跡がみえる。何と言う戯言だ、こんなくだらない記事を読んだ事は無い。なかなか巧みに書いてあるけれど、読んで実際腹が立つ。これはきっと閑人が暇にまかせて逆説を組み合わせてでっち上げた空論に決まってる。と雑誌を叩き付けている。
『各種煙草の灰の鑑別について』―四つの署名より
140種の葉巻と紙巻と刻み煙草との外観を列記して、その灰の区別がカラー図入りで説明してある。フランスの探偵、フランソア・ル・ヴィラールにより仏訳がなされている。
『職業が手に及ぼす影響』―四つの署名より
職業が手の形に及ぼす影響を論じたもの。
スレート職人、水夫、コルク切り工、植字工、織物工、ダイヤモンド研磨工等の手の形を研究したものである。
『足跡の詮索についての小論文』―四つの署名より
足跡の保存に石膏を応用する問題に言及した論文。
『タイプライターと犯罪の関係についての小論文』―花嫁失踪事件より
タイプライターには肉筆文字と同じに其々個性があるもので、打った文字が全く同じと言うものは一つも無く、ある文字が他の文字より摩滅が酷いとか、偏って摩滅とかするものである。と言う事を著した小論文。
『初期イギリスの勅許状にかんする(骨の折れる)研究』―三人の学生より
1895年に某有名な大学町で著した論文。その研究の成果は驚嘆すべき成果となって表われたらしいが、それを示す出来事は書かれていない。
『チベット探検記』―空家の冒険より
ホームズの行方不明中にジーゲルソンというノルウェーの探検家の名で書かれた探検記。
2年間かけて聖地ラサや、ラマの長との生活を書いた紀行。
『暗号文の形式についての小論文』―踊る人形より
160種の暗号記法を分析した小論文。内容は不明。
『古い書類の年代鑑定についての小論文』―バスカヴィル家の犬より
筆跡により時代を言い当てる方法論。内容は不明。
『耳についての短い論文』―ボール箱より
人類学会雑誌に掲載された二つの短い論文。
耳の解剖学的特長から得られる血縁関係についての小論文(らしい)
『ラッススの多声聖歌曲にかんする小論文』―ブルース・パティントン設計書より
潜水艦設計書盗難という国家の重大問題解決と平行して執筆された論文。
私的に印刷され、頒布された。専門家をしてこの問題に関して決定的論文と評価された。
『実用養蜂便覧、付・女王蜂の分封に関する緒観察』―最後の挨拶より
探偵引退後、サウス・ダウンの小さな農園で、養蜂と読書の生活のなかで書き上げた晩年の最大著作。小さな青表紙に金文字で題名が記されている。
参考文献 シャーロックホームズの全作品(新潮文庫版) |
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