
別館
ここでは、神話・伝承によって語られる刀剣を収蔵する。
世界、及び日本において、何らかの曰くの存在するもので、
存在、非存在を問わない
伝承刀剣一覧
世界の刀剣の部(1P目)
仁慈の剣
ロンギヌスの槍
日本の刀剣の部(2P目)
蛍丸 来国俊
妖刀村正
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仁慈の剣(英国王室宝物)

所有 イギリス王室(捧持イングランド、ノーサンバランド伯)
刀身 長さ32インチ 幅2インチ
英国に伝わる5振りの宝剣のひとつ。
戴冠式の際、大司教によって王につけられる王の剣、議会開催の時に用いられる国剣など、儀式の用途によって剣には役割が与えられている。
仁慈の剣は別名「エドワード懺悔王の剣」ともよばれ、何世紀に渡ってイングランド王の戴冠式に捧持されている。
この剣は慈悲のしるしとして切っ先が無く、角張っているため、「無先刀」(Curtana)とも呼ばれている。
古くは1236年のヘンリー3世の王妃エリナーの戴冠式に捧持され、王室の財産目録にもその名前が見られるもので、最近では第10代ノーサンバランド伯ヒュ−が、1953年のエリザベス2世の戴冠式に捧持している。
しかしながら1649年、オリバークロムウェル治下の共和制時代に、議会が無理矢理王室宝物庫を開けさせた時に、君主制の象徴となるこれらの剣や宝冠は競売にかけられたり破壊されたらしく、議会派の資金源となり行方不明となっている。
現代に伝わっている剣は後にチャールズ2世によってヘンリー8世に送られた絵図を元に復元された物である。
ロンギヌスの槍(キリスト教聖槍)
キリスト教における聖槍。ロンギヌス―槍を持つものの意味
ローマ人百人隊長ロンギヌスが、キリストの脇腹を刺したと言われる槍の穂先である。
彼は、イエスを刺した時に起こった地震とともに、槍を伝って流れた血をカシウス(聖ロンギヌス)が受けた事で、弱かった彼の視力は回復、後にキリスト教に改宗して殉教者の一員に数えられている。
伝説によれば、イエスを刺した時に穂先が折れ、立てに真っ二つに折れてしまったために、イエスを十字架に固定した時に使用した釘を中央に埋め込み、紐で結わえ付けたとも言われている。
現在、槍はサン・ピエトロ大聖堂他、各地に伝わっており、どれが本物とも知れないが、ここでは有名な2点を述べる。

所有 現在バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂
四本の柱の一つに飾られているものである。
この聖槍は、出所の一番はっきりしたものである。コンスタンティヌス1世の母ヘレナによって、聖十字架、聖釘と共に見出され、長らくエルサレムにて保管されていたが、614年のペルシャ軍エルサレム侵攻を避けるためにコンスタンチノープルのソフィア寺院に移された。
十字軍の去った後、コンスタンチノープルはトルコ軍に占領され、聖槍もトルコ軍の下に落ちたが、捉えられたサルタン一族の身代金として、槍はローマのサン・ピエトロ大聖堂へと送られ、同寺院に納められる事となり今に伝わったいる。

所有 オーストリア、ハプスブルグ家に伝来 (現在行方不明)
同家より、アドルフ・ヒトラーが接収し、ドイツはニュルンベルグに保存され、13人の聖槍騎士団を結成したが、同市の爆撃と共にその行方が解からなくなっている。
一説には、その後占領したアメリカ軍によって接収されたとも言われる。
槍の発見は、十字軍の遠征に遡る。
1098年6月10日に十字軍に参加した貧しい農夫、バルソロミューがフランスの司令官レーモン伯に拝謁し、彼の見た幻視を話す事によって槍の発見に繋がった。それによれば、聖アンドレアスが彼の夢で、聖なる槍の隠し場所を明かし、アンティオキア占領と共に、この地で槍を見つけ出すが良いと指示されたという。
その年の6月14日に、アンティオキアの聖ペテロ教会を掘り、その場に居合せた人々の祈りと共に、槍を土の中から発見した。
レーモン伯はこれを本物と信じて疑わず、聖槍の発見はj疲弊した十字軍を奮い立たせた。その後、バルソロミューは槍の真偽について、火の神明裁判を行い自分の潔白を証明しようとしたが、逆に火傷を負い死亡する。
後にカール大帝によって使用され、イスラム軍を撃退、この事が、槍の所有者は世界を征するという伝説を生む事になる。そしてハプスブルグ家に伝わる事となる。
なお、ヒトラーがウィーンのホーフブルグ宮殿で、世界征覇の野望に芽生えた時に見た槍がこれとも言われる。
現在、ホーフブルグ宮殿に飾られているのは、日本人の作成した複製品である。
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