魔術理論と考察

魔術体系の実践的思索について

 この魔術理論は、旧来したためられてきた多数の魔術文献を、独自に解釈し、再構築したも
ので、違う視点から魔術の形態を提示するものである。いわゆる魔道書や入門書を紐解いて
見て、「梅干を見て、唾液が出る」様な効果を魔術に期待するにはいささか無理があるように
思える昨今の魔術理論とは一線を画すものである。

護符(タリスマン) 人の心に打撃を与える図形

 ・護符について

 西洋、東洋を問わず、護符魔術は様々なバリエーションを生み出しつつ発展してきた。幾何学図形だったり、漢字の組み合わせだったり、何かをイメージさせる絵だったりするもので、描かれている図形や字の違いによって護符の効力が違うと、ほとんどの魔道書に紹介されているが、全く意味が無い。
 過去において、たとえば、キリスト教が絶対の権力を掌握していた時代なら、ダビデやソロモンの印をみて、宗教的信仰信から、隠された表象を理解することもあるだろうが、それは現代ではその事を知っている人にしか効力を及ぼさないし、拘束力を持たない。
 だが、信じる人にとって宗教とは、人を殺し、殺させもする強力な暗示を持つものなのである。長崎で行われていた踏絵などが良い例である。
 
 ・その意味される表象について

 前記のとおり、キリスト教文化圏でない日本において、護符魔術を語る場合、西洋魔術的技巧はそれを学んだ一部の存在のみに理解されるに留まるので、多数の日本人にはあまり意味を持たず、理解され得ない。(例えば、ソロモンの鍵に記載されている魔方陣を見せて、何が何を意味して、何の効力があるのかなど、わかるはずが無い。道教の護符も似たようなものではあるが)
 日本での宗教は、ほとんど形骸化しており、土着宗教である神道や大陸から渡来して、日本で変容を重ねた仏教でさえ、そのルーツや教義についての基礎を知る人間が一体どれだけいるだろうか?
 東洋的護符の場合でも、かなり特殊化された内容を持つ複雑なものであり、説明を受けなければ一見して何を示すものかさえ判別できない。神社のお札のように、「家内安全」とか「OO祈願」とか記載されていなければ解からない。
 従って、護符の意味する表象を、一旦原点へ戻し、そこから人の深層心理に作用する表象に再構築する必要があると考えられる。より単純に、「梅干を見て、唾液が出る」様な関係をこの中に封じこめなければ、護符の効力など無きに等しいものである。世にプラシーボ効果は存在するが、薬は効力があってこそ薬なのだ。
 私は、中世的で意味を失った護符ではなく、現代における薬(又は毒)として作用する護符の姿を考えてみたいとおもう。

 世界に通用する術式を考えることは、風土上の観点から、難解かつ無意味(全人類に共通するものを探すとなると、極端に単純なものでしか構成できなくなり、個人用にカスタムしない限り、効力も微々たる物になるだろう。)で、滅多に見つからない動物を探すような無駄はせず、日常に沿った生活の中で活かされてこそ、魔術は意味を成すのだが、多数の社会的営みが、精神に介在しているため、心の鍵は万人に当てはまることは無い。
 現代において、魔術を信じるものは極少数である。従って、過去の図形などのパターンから魔術をかけられているとしても、気にも止めない者は多いだろう。古典的な法則には無理があるのだ。

 東洋の文明を基本としている日本において、最も簡単な相手への伝達方法は「漢字」である。人は名前を呼ばれると、振り向いて答えるし、言葉の作用で、喜怒哀楽を感じる。つまり、言葉の力によって、人は行動に制限、拘束を受けているため、これを応用することは護符魔術を行う上での基本となるだろう。
 しかしながら、現代人には意味をなさない前近代的な文字を羅列しても、それは雰囲気を伝えるのみで、対他的な直接打撃とはなり得ない。例えば、「急急如律令」の文字やサンスクリット系の梵字など、通信手段としての意味を失った文字は宗教的な雰囲気を伝達するしか意味を成さない。

 現代護符の法則は単純である。習字紙に朱書きで「呪殺」と書いて、家の門に貼っておく様な護符の方が、昨今の古典的な護符魔術の様式に頼るよりも、どれだけ効果が期待できるだろうか?このような簡単かつ、ダイレクトな方法が一番効果的なのだ。

*一時期流行した「不幸の手紙」という一つの方法も相手を精神的に攻撃する手段としては有効である。しかも送れば連鎖的に増殖してゆく類のものであるから、その効力は不特定多数に絶大である。しかし、この手紙の目的たるや、他人い手紙を送りつけることのみを意図した不幸の持ち回りでしかなく、特定の物への転化がなさられなければ、呪符としては殆ど使い物にはならない。

*I love you のコンピューターウィルスは、メールを貰った人間の心理を的確に捉えている。好きと言われて嬉しくない人間はいないだろう。簡単な言葉の組み合わせで、最大限の効果を発揮した例である。ウィルスはプログラムを破壊する直接攻撃のため、その害は甚だしい。しかし、プログラムに専門知識を必要とし、ワクチンソフトの発達などで、逐一新種への更新が必要となる。現代においては、
   魔法の宝石=マイクロチップ
なのである。

 人は、信じる信じないによって、(例えば、「爆弾」と書いた箱を地下鉄に置くだけでも電車は止まってしまう様に)暗示としての言葉の効果は、利用次第で無限の可能性を持つ。
 そして、幾多の書物に書かれている、『護符、呪符は他人に見せてはならない』という前提は、ここでは全く正反対になる。他人を動かす以上、こちらから何らかのアクションを行わずして、どうして、動かすことが出来るだろうか。物事には何事も「仕込み」が肝心なのである。但し、それを書いた本人は知られてはならない、得体の知れない物ならば、得体が知れない程、人は不安になるものだからである。
 (因みに上記の行為は犯罪なので、決して類似の行動は起こさないで下さい。)

 ・図形としての護符(イメージの図式化)

 人は漠然としたイメージであっても、原始的な本能を揺さぶられるイメージであるなら、その反応は大きい。
 例えば、死の恐怖、強迫による精神的な圧力、
 保護、同朋意識、優越感などによる精神的な安定
 神社のおみくじがこの心理をうまく利用したシステムになっている。その様な表象は、元来文字よりも図形の法が相手により強力に伝わるものなのだが、TVやその他のメディアに慣らされた(死さえもお茶の間の娯楽となってしまう昨今の)情報の溢れる現代社会において、より強力なイメージを相手に伝える事が出来なければ、相手の心を拘束し続けることは難しい。

*護符の効力は専門家によって書かれなければ、満足な霊力が発揮しないと言われるが、これは護符が通信手段としての存在ではなく、絵画であるためだからだろう。下手な人間が林檎を描いても、他人が林檎と認識しないのと同様なのだろう。

*同じように、イメージ下手な人間が死をイメージして、骸骨を描いたとしても、その死のイメージを他人は絵を通して読み取ることが無いだろう。「単なる下手な絵」でおしまいである。

*昔、プラド美術館に行った時、ゴヤの「ナポレオン軍による市民の銃殺」を描いた油絵を見て鳥肌が立った。印刷物は結構何気なしに見ていたのだけれど、あの大きさで、あの迫力を見せ付けられて、死をリアルにイメージさせられた。この効果が護符にも必要なのである。あの域に達するのが天才なのだろう。

・イメージの強化訓練

 日常において、人が何を求めて、何を怖がるのかを観察する。理性的な損得の感情の奥にある、原始的な本能に訴える為には何が成されているのかを注意してみる。例えばカラー、何を模した形態か、その状況などを体系化する。(ドラえもんにはネズミという具合に)
 その上で、護符を使用する場所を想定する。(例えば、一人暮らしのアパートの室内、大都会の繁華街のなか、などで効果は全く異なる。)一人の部屋で、夜中にケータイから『好きです。ずっとあなたを見ています。」と知らない人からメールを受けるのと、雑踏の中で、同様に受け取るのでは、効果は違うだろう。更に連続させれば、気味悪がって、友人を呼んだり、ストーキングされていると思いこんだりすることもあり得るだろう。
 次に、自分で一個の作品としたイメージを描いた護符を、本当に伝わるかどうか知人、友人に送って見て、どういう反応を示すか確認して見る。

*一度、魔術を信じない友人に送ろうとしたことがあるのだが、信じていないにも拘わらず、拒否されてしまったことがあるので、
魔術を行うには注意が必要である。

*友人が片思いの相手に、自分の心を精算する道具として、「血まみれのラブレター」を書いて送ったそうだ。紙いっぱいに蟻の様な字で「好きです、好きです隙です、・・・」と繰り返し書いて、豚の血塗れにしたそうだが、無論、自分の名前は伏せていたので、相手は相当引いたそうである。(血のイメージを巧みに利用している。)この演出はバーチャルなメールでは不可能である。

 どの状況で受け取り、開封したかを聞いて、参考にすべきだろう。その様なデータで統計を取るのもまた、一つの修行である。(呪い返しとばかりに警察呼ばれたり、災いを招かないよう、予め用意は必要である。

*旅行の宿泊先で、部屋の掛け軸の裏や、TVの下にお札が貼ってある部屋にはいわくがある。自殺者が出ていたり、霊現象が起きる場所であることが高い。
 従って、そう思わせるだけのシチュエーションが揃えば、護符の人に与える効力は大きいのである。状況さえかち合えば、同様の効果を人為的に生み出すことも可能で、何も以上の無い部屋に同様の符を貼って置くだけで、人は嫌がって、泊まらなくなるだろう。

 残念ながら、この様な既存の概念には、(神や霊など)既存の宗教が効果的なのである。培われた歴史と言う信用の差による
ものだろう。より安心を得るかは本人の信じる心に掛かっているため、霊現象には、同じ体系を持つ既存の概念のほうが説得力があるのだ。

 *歴史上、護符魔術によって戦われた戦争に幕末の「鳥羽伏見の戦い」がある。長州軍が掲げた「錦の御旗」と言う護符、に戦力で負けるはずのない幕軍を破った戦い方は、西洋人から見れば魔術としかいい様がない。あれほど効果的な護符がかつて存在したとしたら、キリスト教の歴史上にある、十字架や、三国志で語られる、「死せる孔明、生ける忠達を走らす。」の例があげられるだろう。

*因みに、映画「RING]をMと見に行ったのだが、余程怖かったと見え、夜中にかかって来た電話が取れなかったそうだ。状況により電話を取らせなくするよう、相手の精神に圧力がかかった例である。





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