
日本館
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刀工 喪助(おそらく無銘) 古刀(南北朝時代)
所持者 阿弥陀丸(現在郷土資料館に展示)
ふんばりが丘郷土資料館に収蔵されている喪助によって打たれた阿弥陀丸の刀。元々阿弥陀丸の親の形見の包丁を打ちなおしたもので、喪助の命名した号。(南北朝時代には製作流派や人物に関係の無い銘を切ったものはない。)鎬造りの打刀で、太刀ではない。揃は刀の鞘にしては栗形が無いなど独自の形態をしている。鍔、柄の造りは典型的な刀である。目貫不明。
国が真っ二つに割れての大戦争、600年前に使用していた、というくだりより、南北朝時代、古刀と推測できる。(ラブひなの止水備前兼光と同時期である)
南北朝時代の作刀といえど華美な装飾、長刀がもてはやされるこの時期に、時代の風潮に逆らったかのように装飾を押さえた仕上げになっている。この時代は備前刀の黄金期であるが、見映えを重視する備前伝とは考えられず、喪助自身に関西訛りのない事、物語の場所は不明だが、【シャーマンファイト・イン・東京】とかアンナが語っていた事から、もう一つの刀剣産地である美濃の影響を受けた鎌倉幕府の御用鍛冶、相州伝(国宝の正宗が有名)に近い思われる。彼は何処の工房にも組みしない修行の刀鍛冶だったのだろうが、後の世に正宗十哲と呼ばれるいづれかの刀工の影響を受けたと考えられる。(サイギョウ打ち)
かつては怪しい美しさを秘めたかなりの業物だったらしいが、審議は定かにあらず、(南北朝時代の相州伝は皆焼(ひたつら)を特徴とするも、正宗には遠く及ばない)郷土資料館に保管されボロボロになっていることから、文化財としての価値はさほど高くないようにも思える。更には、この時期の作刀ならば、申請すれば一発で重美以上の刀剣となることは確実なのだが、現代で喪助の魂を採り入れた麻倉によって打ちなおしが行われているので、残念ながら重要刀剣としての価値は失われてしまったといえる。二度程シャーマンファイトで折られている。 |
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